八十八ヶ所はいつできたの?
   
  お四国参りとか、八十八ヶ所参りという言葉はよく耳にされるのではないでしょうか? では、いったいいつ誰がつくったものなのかご存じでしょうか? 「いつっていうのは分からないけど、誰がっていうのは弘法大師様では...」と、お答えになられる方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

  四国八十八ヶ所は、弘仁6年(815年)に、弘法大師42歳の時に開創されたと伝えられています。 遍路のはじまりは、大師の入定後、高弟真済がその遺跡を遍歴したのがはじまりと言われています。あるいは衛門三郎が自己の非を悟って四国の霊地をめぐったのが遍路のはじまりとも言われています。
  (衛門三郎についてはまた別の機会にお話いたします)

  いずれにしても、大師入定後、大師に対する信仰はまもなく起り、平安時代末頃には大師ゆかりの地を巡拝することがおこなわれていたようです。鎌倉時代になると真言宗の僧が苦修練行をかねて、大師の遺跡を巡歴したことが知られています。室町時代にはいると、一般庶民も参加するようになり、八十八ヶ所の霊場が固定したのは室町時代末期から江戸時代初期にかけてのことだと言われています。

  因みに、八十八という数字は、八十八使の煩悩に由来するとか、「米」の字を分解したことによるとか、あるいは男42、女33、子ども13の厄年を合わせた数字だとも言われています。
  また、「まんだら世界」ともいわれています。

  ※まんだらとは・・・仏教において聖域や仏の悟りの境地や世界観などを、仏像・象徴する対象・文字などを用いて視覚的・象徴的に表わしたもの




              めぐりやすい八十八ヶ所 四国へんろ
                  (出版社:満願寺教化部刊)
                 より引用させて頂いております。




     
     
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